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プロフィール
■2013/2/27更新
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 6期24年「子育て、教育、介護の充実」をモットーに住民の皆さんと様々な課題に取組んできました。特に保育園の増設と子育て支援の充実、学校給食の自校化推進、小中学校のエアコン導入を実現してきました。子ども医療費の無料化は就学前まで実現、さらに中学卒業までの無料化をめざして活動しています。水害対策では、住民と協力して署名活動も行い、喜沢南、川岸地域に排水ポンプを設置させ大きく改善することができました。
 トコバスについては、双方向運行を議会で求めてきましたが、議会の意見がまとまらず、実現していませんが、実現めざして引続き頑張ります。
 戸田市の課題は高齢者の単身世帯が急増し、生活・医療・介護などで問題を抱えていることです。一人暮らしの高齢者でも楽しく安心して暮らせるまちにしていくためには、介護施設と合わせて、高齢者の共同住宅の整備が必要です。高齢者の住宅政策が大変遅れていますが、私は高齢者が互いに支えあって、楽しく暮らせる高齢者共同住宅の整備をめざして全力で頑張る決意です。

現  職

市民生活常任委員会委員、広報委員会委員、衛生センター議会議員。
活動地域は17号の東側全域です。下戸田1・2丁目、下前1・2丁目、川岸2丁目も入ります。

マイクを持つもちづき久晴市議

もちづき久晴プロフィール

 少年時代

 昭和22年東京都杉並区西荻窪生まれ、西荻窪駅から徒歩7分のところに住んでいました。

 昭和29年高井戸第4小学校に入学、その年の2学期途中で板橋区の富士見台小学校に転校。私の最大の特徴は無類の動物好きです。幼い頃、西荻窪にはし尿を馬で汲み来に来ていた時期があり、久晴はすっかり馬に惚れてしまい、自分の干支を馬年にしてしまいました。

 小学校時代は、犬、亀、うさぎ、小鳥のじゅうしまつやひばり、金魚、口細、ザニガリ、カエル、蛇、などです。犬は捨てられた子犬を拾ってきて、親の反対を押し切って無理やり飼いました。亀を飼ったときは、朝早くおきて、地面を掘って餌のミミズを毎日探しました。蛇は鳥かごに入れていたら、逃げ出してしまい大騒ぎになってしまいました。夏休みは毎日のように蝉取りに明け暮れてました。

 父が政治に関心が強く、良くNHKのニュースをラジオで聞いていたので、自然と政治に関心を持っていた。子ども心に自民党は嫌いであったが、共産党も何となく嫌いであった。

 中学時代

 昭和35年板橋区立志村第一中学校に入学。我々団塊の世代であるため、一学期は校舎の増築が遅れ、教室が足りず、早番・遅番がある二部授業でした。私たちの学年は1クラス50人で12クラス600人もおりました。

 私の住んでいた前野町は道が狭く曲がりくねり、畑をつぶし住宅や中小企業の工場が無計画に建っていくのを見て、なぜもっと計画的にできないのかと疑問に感じました。共産党は嫌いだが、社会主義のことは良く分かりませんでしたが、社会主義の計画経済に何となく憧れる気持が当時生まれた。

 高校時代

 昭和38年、都立王子工業高校電気課に入学。高校2年の3学期に小平市に転居。
 中央線の武蔵小金井駅から赤羽線の板橋駅まで片道1時間電車で通学するようになり、暇つぶしに本を読むようになり、その頃から学校の図書館にも良く通うようになりました。

 夏目漱石などいろいろな本を読む機会に恵まれ、政治にも興味を持つようになりました。

 小松原研磨製作所時代

 昭和41年、紙ヤスリを製造していた小松原研磨製作所に入社。電気設備の製作と保守の仕事を行いました。
 新工場が茨城に完成し、製造現場の転勤問題が発端で、労働条件の改善を求め、昭和43年9月、労働組合が結成され、執行に選出される。

 12月の一時金闘争の時、不当な解雇を受け、翌年1月浦和地裁で勝訴。現職復帰を求めたが、会社側が拒否したため、4年間職場復帰を求めて、東京高裁まで争ったが、昭和47年会社側と和解。
 解雇され職場復帰をめざして会社と戦った時は、戸田地区労働組合協議会や様々な組合の人たちに支援を受けたことが、本当にありがたかった。こうした組合活動のなかで、働く人々のために、一生懸命活動している日本共産党員の姿を見て、私も日本共産党に入党しました。

 職場復帰闘争を行っていた頃は、戸田地区労の専従書記もやってました。その時新幹線の戸田通過問題が起きました。当初地下方式であったものが、地盤沈下などを理由に高架方式に代わり、戸田市は通過するだけで、何のメリットもなく、騒音公害だけを撒き散らすとして、戸田地区労を中心に「新幹線反対協議会」結成して反対運動に取り組みました。その後にできた、「新幹線反対同盟会」とも協力して、集会や自動車パレードを行いました。こうした反対運動がきっかけとなり、埼京線が併設されることになりました。




 戸田民主商工会時代

 昭和48年4月川口民主商工会戸田支部に勤務。6月戸田支部が川口民主商工会から独立し戸田民商の事務局員として15年間、中小零細業者の金融、税金、労働保険などの相談支援活動を行ってきました。

 中小零細業者が厳しい条件のなかで、創意工夫を凝らしたくましく、生きている姿に、いつも関心すると同時に、励まされてきました。

 昭和49年4月結婚。下戸田保育園の保護者会の役員として保育園の行事には協力してきました。夏まつり、の時はいつも焼きそばをやってました。


 議員になって

 大谷敏夫議員の後を引き継ぎ、戸田市議会議員選挙に、立候補し、当選。現在4期目。

 議員として、力を入れて取り組んだ問題は、子育て、教育、高齢者福祉でした。
 私が議員になった当時は、戸田市には高齢者問題を扱う課もない状態で、もちろん特別養護老人ホームもありませんでした。私は高齢者福祉課の設置と特別養護老人ホームの建設を再三とりあげ、成果を上げることができました。

 平成4年に中町公共用地に70億から80億円を掛けて、700席のホールを中心とした施設の建設問題が持ち上がりました。
 私は文化会館に1200席の大ホールがあるのに、またホールをつくる必要はないと考え、住民の要望をアントート調査を行いました。
 多くの住民がホールはいらない、造るのであれば、スポーツ施設か、高齢者の福祉施設が圧倒的に多く出され、住民の要望に沿った施設の建設を求め住民と活動しました。結果としてホール建設をやめさせ、税金の無駄使いをやめさせました。

 下戸田地域に特別養護老人ホームをつくるよう00年議会で取り上げ、その後地域で署名運動を行い、喜沢南公共用地に80床の特養が平成17年4月開設で建設されることになりました。

 都市型水害対策でも平成11年7月21日の集中豪雨以来、議会で対策を求めると共に、住民の協力を得て署名運動を行い、平成14年3月緑川へ毎秒0,037?の排水を行うポンプを喜沢第二公園に設置、15年度から3ヵ年計画で菖蒲川へ毎秒2,55立方メートルの排水を行う施設を建設する予定になりました。

 現在は、待機児をなくし安心して子育てのできる戸田市。安全でおいしい給食をめざし学校給食の自校化を、30人学級学力向上を、スローガンに頑張っています。

趣味]ソフトボール、スキー、音楽鑑賞。
家族]妻と2男の4人家族








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