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正式には井の頭恩賜公園という。東京都武蔵野市と三鷹市にまたがり、交通至便なこともあって都民の憩いの場として親しまれている。JR中央線、地下鉄東西線、京王井の頭各線の吉祥寺駅から徒歩5分。京王井の頭線の井の頭公園駅を下車し、坂道を降りるとすぐに井の頭池のほとりに出る。 |
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吉祥寺の南口から徒歩五分とかからず公園の入り口につく。「いせや」という二階建ての焼き鳥屋がある。昼間からやっていて、カウンターには風景そのものといった感じのオッサンがカシラなんぞかじりながら焼酎を飲んでいる。道から見えるテーブルには青年が日本酒を飲んでおる。喉をならしながら店の前をとおる。 師走というせわしい月。しかも平日の午さがり。にびいろの空からは日も射さず公園に人はまばらだ。 茶店の軒先や黒々とした桜の古木のところどころを、もみじの赤や銀杏の黄色が彩っている。 中高年のオトウサンカメラマン氏が曇天を嘆いている。 キャンパスにむかう中高年オトウサンもいる。その中高年オトウサンを後ろから中高年オトウサンが覗き込む。近くのベンチでは中高年のご婦人がおふたりアルミホイルを広げてなにかを食べている。中高年のご夫婦とおぼしき紺のジャージ姿の男女が走り去る。初冬の井の頭公園は中高年族が静かに棲息している。こっちとしても違和感なくとけ込む。 そこへ華やぎが入り込んできた。三組の母子である。いわゆるヤンママとか称せられるご婦人で、こっちはファッションなんてものはさっぱりわからないが、三人ともに総体黒っぽい装いでミニスカート。すんなりとしたおみ脚がのびている。やや着膨れした幼子を抱いたり手を引いたりしながら、今風半疑問体会話を交わされている。こっちとしても違和感なくとけ込む用意はあったが、一瞥もくれずに立ち去られた。 池の中央に架かる七井橋をわたる。池には鯉が泳ぎ鴨が群れている。カイツブリが水中に潜って小魚を捕る姿をあかず眺めた頃を思い出す。そのカイツブリの姿は見えない。 曇り空の平日、閑散としているのは当たり前で、これが桜の頃ともなれば花見客で埋まる。新緑の季節もよい。そして晩秋から初冬にかけては紅葉だろう。だから休日はかなりの人出がある。吉祥寺の街とは一帯のエリアだから若者も多い。駅から公園に至る小路には、そんな若者を当て込んだ衣料雑貨屋や料理屋が並んでいる。 |
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さて、この井の頭公園である。 【井の頭の地名は泉水の第一等の池というところから、三代将軍家光がコブシの幹に「井の頭」と彫り込んだという故事に由来する。御殿山という地名は、徳川時代前期、将軍の鷹狩りの時の宿泊所があったことに由来する。三代将軍家光も鷹狩りのおりここに宿泊。その後このあたり一帯は幕府御料地として、神田川の水源である井の頭池の水脈保護にあてられた。豊かな水を求めてこのあたりは早くから人が住み、先土器時代、縄文時代の遺跡もある。】 公園の一郭にある碑文である。 ところでこの家光サン、三十なかばになるまで世継ぎが生まれなかった。もちろん奥さんはいたけど、どうもご婦人に興味をお示しにならず、若い頃からもっぱら近習のお侍を愛でるとうアブノーマルなご趣味の持ち主。お世継ぎが生まれないのはお家の一大事だ。おおいに気を揉んだのが乳母の春日局女史。家光サンがその気になるような美女を掻き集めたって話だ。鷹狩りと美女狩りである。 |
ま、それはともかく…このあたり武蔵野の段丘の崖下には湧水が多く、ハケと呼ばれ、小金井の野川沿いのハケの道は有名だ。この井の頭の池も、三方を段丘に囲まれた小さな谷の窪みに水が溜まったようなもので、谷の奥に水源のお茶の水がある。そしてここが神田川の源流でもある。 そのお茶の水は、鷹狩りにきた家康が湧水の良質を愛でてよくお茶をたてたことに由来するそうだ。 しかし、一九六〇年頃から付近にもビルが建ち混んで地下水脈が断たれ、現在はポンプアップによって補給されている。舗装や下水道普及がすすんで雨水が浸透しなくなったことも地下水が枯れる一因で、地元で池の浄化と湧き水復活の運動をしているグループは雨水浸透桝の普及に努めているとのこと。そういう取り組みの甲斐があったのか、お茶の水橋付近で自然の湧き水が噴出ているのを自然文化園水生物館の職員が見つけたそうだ。つい先日のことである。 有料の文化園は小動物園であり小植物園である。彫刻園もある。同じチケットで入れる池のほとりの分園は淡水水族館といった感じである。 本園には狸や狐、猿、アナグマなど里山の動物が飼われている。モルモットコーナーでは直接モルモットに触れるので、この日も二組の母子がいた。 以前はラクダやマントヒヒ、マンドリル、ゲラダヒヒなんかもいた。八丈島のキョンもいた。しかしもういなかった。ゾウはまだいた。昭和二十二年生まれのはな子だ。歯が左下一本しか残っておらず食べ物が噛めない。自然界だったら死ぬしかない。園ではバナナやリンゴを摺り潰して与えている。皮膚は苔むした岩肌のようで足の爪は黄ばんでいた。ゆっくりとだが、絶えず体を動かしていた。 |
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小遊園地にはメリーゴーランドやゴーカートなどがあるが動力音はしない。係員は手持ち無沙汰で園内は静まりかえっている。十数年前、子どもを連れて来ていた頃を思い出す。時候も違うが日の光が溢れていて、子供らの歓声が響いていた。 分園の水生物館には懐かしいゲンゴロウやタガメがいた。昔、田圃の用水路あたりで捕まえて遊んだものだ。ヤマメ、オイカワ、ハヤ、アユあたりは知っているが、イトヨにトミヨ、タイリクタナゴにモツゴ、ヨシノボリにカマツカ……日本の淡水魚って意外と多いもんだ。オオサンショウウオが水槽の隅に鎮まっていた。でかい頭と点のような目が怪僧のように見え、ごめんなさいと通り過ぎる。 小腹がすいたので、銀杏の葉が降り敷いた茶店の外に立った。テーブルが出されているが、店の奥さんが座敷をすすめるので上がった。客は誰もいない。天ぷら蕎麦を頼んだ。おでんの品書きもあったので、それと酒を頼んだ。酒はワンカップを温めたやつだ。昔、冬の奥多摩湖にやまべ釣りに通ったことがあった。山上の湖は竿先の雫も凍るくらいで、飯は湖畔の茶店で喰った。その時も凍える指先を押し揉みながら、熱いワンカップを啜ったものだ。なんの脈絡もなくそういうことが思い出される。店の外をみれば殆ど黄色と赤である。日があたればきらきらと輝いて綺麗だろうが、染まった葉そのものの色合いも悪くない。 ワンカップの燗酒を啜りながら天ぷら蕎麦を喰った。おでんは忘れられたようだ。面倒臭いので黙ってた。 店の親父さんが口笛を吹いていた。吉幾三の演歌だった。 ♪わかるよなあ〜、酒があ〜 ようわからんが、勘定をして出た。 外にはやはり、撮る人描く人走る人。 やっ、中高年が集団で来た。指揮者らしき人が木の幹を指さしている。その幹にはナンバーを書いた札が結んである。グリーンアドベンチャーという木の種類を当てるゲームらしい。中高年アドベンチャーはざわめきつつ去ってゆく。 池の端をめぐりながら池尻まで歩く。ひょうたん橋、水門橋、みどり橋、よしきり橋となかなか風情のある名の橋をくぐって神田川は流れ出す。 あてもなくぶらついた。ちょっともの寂しかった。しかし、ふとそういうあてのなさに惹かれる時がある。しっかり中高年族だと若干悲哀を感じつつ帰った。嗚呼… |